母の日になぜカーネーション?その由来から、語源、花言葉、母の日のおすすめギフトまでバッチリ紹介!

      2017/07/05

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もうすぐ母の日ですね。母の日にはカーネーションを贈ります。でもどうして?母の日にカーネーションを贈る理由から始まって、カーネーションについてぐぐぐっと掘り下げてみました! カーネーションの語源、花言葉、母の日シーズンだからこそのおすすめの花やプラスするギフトまで多角的に詳しく紹介します!

今年の母の日はいつ? その起源は?

今年の母の日は5月14日。各国事情も紹介!

の日は国によりさまざまですが、日本やアメリカ、オーストラリア、フィンランドでは5月の第2日曜日に祝うとされています。ということは、

2017年の母の日は5月14日です。

母の日の起源は17世紀のアイルランドやイギリスに遡り、家から離れて奉公にでている子どもたちが教会で母親に会える日だったそうです。日にちは復活祭の3週間前。復活祭自体が年によりかなり変動があるので、母の日(マザリングサンディ)も、毎年、日にちが異なっているようです。

 

イギリスではパンやスイーツを焼いたり、バラの花束のプレゼント、カードなどを母親にプレゼントします。小さい子は朝食を作って部屋までもっていったり、皿洗いをして母親をねぎらいます。

オーストラリアではプレゼントする花はカーネーションではなくキクです。キクは「マム」と呼ばれることから、母の日の花になったのでしょうね。日本とは季節が逆になるオーストラリアの5月は秋です。ちょうどキクが咲く時期だからということも関係しているようです。

フィンランドでは花屋でミニバラを買ってプレゼントすることが多いそうです。小さい子どもたちは、早朝から家の周りや森から二輪草の花を探して摘んできて、朝食と一緒に母親のベッドまでもってきてくれるという習慣があります。素敵ですね!

 

母の日にカーネーションを贈るのはなぜ?

19世紀のアメリカの「母の日」は、女性の活動を促すものだった!

の日とカーネーションのつながりをひも解くには、1850年代のアメリカに遡らなければいけません。

アメリカ、ウエストバージニア州にアン・リーブス・ジャービス(Ann Reeves Jarvis)という女性がいました。彼女には11人もの兄弟がいましたが、残念ながら成人したのはアンを含めてたったの4人でした。当時のウエスト・バージニア州の衛生状態や医療設備はまだ水準が低く、そのために幼くして亡くなってしまったのです。これを改善しようと、アンは立ち上がります。衛生状態をよくし、乳児の病気を治療し、母乳の汚染防止をすることで、乳児の死亡率を改善しようと母親たちが働くボランティア活動を始めます。「母のデイワーク・クラブ」(Mother’s Day Work Club)と名づけられたこの活動は、1861~1865年の南北戦争中には、敵味方問わず負傷兵を看護する活動も行っていました。

1870年、女性社会活動家ジュリア・ウォード・ハウ(Julia Ward Howe)は、「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation)を発表します。これは、女性たちにもっと政治に参加し、平和を推進するよう呼びかけたものでした。

アン・リーブス・ジャービスの「母のデイワーク・クラブ」は、母親が子どものために積極的に働くボランティア団体でした。

ジュリア・ウォード・ハウの「母の日宣言」は、女性にもっと政治参加を呼び掛けるものでした。

どちらも現在の「母の日」とは少し意味合いが異なりますね。

 

母の日にカーネーションを贈る習慣は、アンナ・ジャービスの行動から

在の「母の日」の原型を作ったのは、アン・リーブス・ジャービスの娘アンナ・ジャービス(Anna Jarvis)です。

アンナの母親、アン・リーブス・ジャービスは1905年に亡くなりました。その後、娘アンナの熱心な働きかけが実を結び、3年後の1908年5月10日、アン・リーブス・ジャービスが26年間、日曜学校の先生をしていたグラフトンの教会で「母の日」の式典が催されました。このときアンナは、亡き母が大好きだった白いカーネーションを教会に捧げ、集まった人たちにカーネーションの花を手渡したとされています

これが、現在でも「母の日」にカーネーションを贈る原型となりました。

これを皮切りにアンナは各地で「母の日」を祝う活動を始めます。

アンナの活動を受けて、1914年、当時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)が「母の日」を5月の第2日曜日と正式に決めました。

ここにのっかったのがアメリカ商業主義です。「母の日にはお母さんに感謝を込めてカーネーションとプレゼントを贈りましょう!」と、大々的に宣伝を始めます。母の日に贈るカーネーションは、やがて亡くなった母親には白いカーネーションを、存命の母親には赤いカーネーションをと分化していき、それでは母親のいない子が差別対象になると懸念した誰かが提唱して、皆が赤いカーネーションを贈るようになりました。

 

母の日は内輪で祝うもの!

うしてすっかり商業的イベントになってしまった「母の日」に、それを作った当事者であるアン・ジャービスは強い不快感をもちます

「母の日は、世間の母親全員を祝うものではなくて、自分の母親を個人的に祝うものであるべき!」

こう考えたアン・ジャービスは、「母の日」を商業主義から切り離そうと努力します。母の日のカーネーションやプレゼントの不買運動を起こしたり、募金活動に母の日を利用したとして時の大統領夫人を非難したりしたといいます。

晩年のアンナは、母から受け継いだ遺産もすべて「母の日」を商業主義から切り離す運動に費やしてしまい、貧しい中で亡くなったといいます。少し皮肉な結果になってしまったものですね。

 

日本では、1913年、アンナから青山学院に手紙が!

Aoyama Gakuin University, Aoyama Campus
Aoyama Gakuin University, Aoyama Campus / Dick Thomas Johnson

本では、1913年にアンナ・ジャービスから青山学院に手紙が届き、青山学院の女性宣教師たちが熱心に働きかけて、日本にアメリカ式「母の日」が定着していくきっかけとなりました。けっきょく日本でもアメリカと同じように商業主義にのっかってしまっているのは、ご存知の通りです。

あまりに商業主導になるのは、確かに提唱者のアンナにしてみれば、面白いものではなかったでしょう。もっとつつましく、家族で祝うべきものだという主張は分かります。

でも、24時間休日返上で働いているにも関わらず、それが当たり前と思われがちな母親たちに感謝する日があるのは、いささか商業主義になりつつあっても、やはり大切なことですよね!

 

次のページでは、カーネーションの語源や、色別の花言葉、現代のおすすめギフトなどを紹介しています!

 

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