バラの歴史を語る上で欠かせない人物の一人が、ナポレオン1世の皇妃「ジョゼフィーヌ」です。今回はバラ史におけるジョゼフィーヌの生涯と功績について、まとめて紹介します。


ナポレオン皇妃「ジョゼフィーヌ」は恋多き女性

▲エキゾチックな美人として社交界で人気だったジョゼフィーヌ

にナポレオン1世の皇妃となるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(Joséphine de Beauharnais)は1763年、フランス領西インド諸島マルティニーク島に生まれます。名ばかりの没落貴族で、生家の暮らしは貧しかったそうです。16才でアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚し1男(ウジェーヌ)1女(オルタンス)をもうけますが、結婚当初から夫婦仲が悪く、4年後には離婚します。

 

社交界で人気の未亡人となっていたジョゼフィーヌをナポレオンが見初め、1796年、ジョゼフィーヌ32歳で再婚。ナポレオンはジョゼフィーヌを熱烈に愛していたようですが、浪費家で華やかな暮らしが好きなジョゼフィーヌの方では、ナポレオンを「無骨でつまらない男」と思っていたようです。

 

最初のボアルネ子爵との離婚後も、さらにナポレオンとの結婚後も、恋人や愛人が何人もいたという、よく言えば恋多き情熱家、悪く言えば男にだらしないところのある女性だったそうです。ナポレオンの部下と浮気したのが発覚し、離婚されかけたこともあります。

 

ナポレオンの戴冠とともに皇妃となる

▲『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』の部分アップ

1804年、ナポレオンはフランス皇帝として即位し、ジョゼフィーヌはその皇妃となりました。その様子を描いた、ナポレオン1世の主席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの手による絵画(上に掲出した絵画)は有名ですね。

 

ところがナポレオンの愛人に嫡男ができるや、ジョゼフィーヌは子どもができないことを理由にあっさり離婚されてしまいます。ナポレオンの戴冠からわずか6年後のことです。もっとも、離婚後もナポレオンにとってジョゼフィーヌは良き話し相手だったそうですが。

 

それ以降1814年に亡くなるまで、ジョゼフィーヌはパリ郊外のマルメゾン城で過ごしました。ナポレオンがワーテルローの戦で敗戦するのが1815年ですから、ジョゼフィーヌはナポレオンの没落を知ることなくこの世を去ったことになります。

 

マルメゾン城の庭を「ヨーロッパで最も美しく興味深い庭園、よき洗練のモデル」に!

Le Jour ni l’Heure 8897 : château de La Malmaison, XVIIe-XIXe s., Rueil-Malmaison, dimanche 19 août 2012, 17:11:35
Le Jour ni l’Heure 8897 : château de La Malmaison, XVIIe-XIXe s., Rueil-Malmaison, dimanche 19 août 2012, 17:11:35 / Renaud Camus

ョゼフィーヌがマルメゾン城を購入したのは1799年のこと。当時は荒れた土地に建つ簡素な城だったそうです。ナポレオンがエジプト遠征に出かけている最中のことで、その戦果をあてにして購入したと知り、ナポレオンは激怒したと伝えられています。

 

大規模な改修を経てこの城に住み始めたジョゼフィーヌは、この地を「ヨーロッパで最も美しく興味深い庭園、よき洗練のモデル」にすることに尽力します。巨大な温室を建設し、世界中の珍しい動物や植物を集めました。ジョゼフィーヌがフランスで初めて栽培した植物は200種類以上あったといわれており、カンガルーやシマウマ、ダチョウ、アザラシなどの動物が飼育されていたそうです。

 

世界中のバラを庭に集め、植物画家ルドゥーテに描かせる

▲ロサ・ノワゼッティアーナ(ROSA Noisettiana.)=フィリップ・ノワゼット『バラ図譜』より

ョゼフィーヌがマルメゾン城の庭に世界中から集めさせた植物コレクションの中でも、特にバラのコレクションは素晴らしく、250品種ものバラが栽培されていました

 

ジョゼフィーヌがマルメゾン宮殿に住んだ19世紀初頭といえば、ちょうど中国のバラがヨーロッパに紹介され始めた頃です。それまでも人気の高かったヨーロッパのバラに、中国バラの四季咲き性がもたらされ、当時の人々に驚きを与えていた頃ですね。ジョゼフィーヌのバラ・コレクションはどれだけ人々の羨望を集めたろうかと、想像してしまいます。そこには日本原産のバラも植えられていました。

 

さらにジョゼフィーヌはお抱えの植物画家ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redouté1759-1840に、ひとつひとつの花を精密に描かせました。銅板画によるルドゥーテの植物画は、絵画としての芸術的価値はもちろん、当時どんなバラが栽培されていたのかを知る植物学上の貴重な資料としても高く評価されています

 

ルドゥーテはいくつもの植物図譜を残していますが、中でも『バラ図譜』(Les Roses)はとくに評価が高く、彼の最高傑作と言われています。そのためルドゥーテは「花の画家」または「バラの画家」と呼ばれます。

 

残念ながら、1871年のルーブルの火災でルドゥーテの原画は消失したとされています。

 


Les Roses バラ図譜

 

マルメゾン庭園に植えられていたバラを精緻に描いた、ルドゥーテの最高傑作として名高い「バラ図譜」は、1817~1824年にかけてジョゼフィーヌの庇護のもとに刊行されました。

 

この書籍が刊行された当時のデータをもとに再現された美しい169点のバラの絵を集めた高品質な一冊は、眺めて楽しいだけでなく、植物学的にも価値ある書籍です。

ジョゼフィーヌのバラへの思いが現代バラを生み出す礎に!

ョゼフィーヌのバラ園の園芸家アンドレ・デュポン(Andre Dupont)は、人工授粉の方法を確立し、多くのオールド・ローズが生み出されました。さらにこの技術が後に現代バラを生み出す礎となりました。

 

世界史としてみればジョゼフィーヌはナポレオンの妻でしかありません。が、バラの園芸史上は、世界中からバラを集め、人工授粉の方法を確立させ、当時のバラを詳細に描かせた、まさにパトロンともいえる存在です。これらの功績から、ジョゼフィーヌは「現代バラの母」とも称されています。

 

ジョゼフィーヌのバラ・コレクション復活!

HaylesRoses_8450
HaylesRoses_8450 / cyberien 94

ョゼフィーヌの亡き後、マルメゾン城の庭園はボアルネ家と親交のあった植物学者に引き継がれました。後の1870~1871年のプロイセンとの戦争によりマルメゾン城の庭は荒廃し、城の持ち主も次々と交代していきます。

 

1899年に開園したパリ近郊の「ヴァル・ドゥ・マルネ バラ園」(Roseraie du Val-de-Marne)通称「ライ・レ・ロージズ」(l’Hay les Roses)(上記写真)は、4000種に及ぶオールド・ローズを保有する、世界一のオールド・ローズ・コレクションが見事なバラ園です。現存する世界最古のバラ園としても有名です。

 

ライ・レ・ロージズを開園したバラの愛好家ジュール・グラブロウは、かつてジョゼフィーヌがマルメゾン城に集めたバラ250品種の内、約200品種を再収集しました。同時にマルメゾン城にもそれらのバラを寄贈したそうです。荒廃してしまったジョゼフィーヌのバラ園を寂しく思っていたのでしょうね。

 

バラ咲く初夏(6月)、ライ・レ・ロージズの「マルメゾンのバラのコーナー」では、200年前にマルメゾン城で咲いていたバラたちに会うことができます。

 

ピアジェがマルメゾン城のローズガーデンを復元!


PIAGET / paparutzi

イスの高級宝飾時計およびジュエリーのメーカーとして有名なピアジェ社の現代表イヴ・ピアジェ氏は、とてもバラの好きな人物として知られます。彼の口ぐせは「バラは、私を子供のころに連れ戻してくれる」なのだとか。彼の名前を冠したバラ「イヴ・ピアジェ」が作り出されたことを祝う日を毎年、「ピアジェ・ローズディ」として祝っているというから筋金入りです。

 


バラ苗【新苗】イブピアジェ【イブピアッチェ】(Ant桃) 国産苗《J-HT10》 0414追加

 

ジョゼフィーヌ没後200年にあたる2014年の「ピアジェ・ローズデイ」に合わせ、ピアジェはすっかり老朽化していたマルメゾン城のバラ園を修復するミッションを開始し、750本もの古い時代のバラを植えなおしたと公式サイトで伝えています。マルメゾン城のバラ園がリニューアル・オープンしてから今年で3年。かなり見ごたえのあるバラ園に育ってくれているのではないでしょうか! 機会があったら、ぜひ訪れてみたいものです。

 

エンプレス・ジョセフィーヌ


【大苗】バラ苗 エンプレスジョセフィーヌ (G桃) 国産苗 6号鉢植え品《J-OC20》 0405追加

後にジョゼフィーヌの名前のついたバラを紹介しましょう。

 

やや乱れがちな花姿も優雅なガリカ系のオールド・ローズです。一季咲きですが、素晴らしい強香をもちます。花径は8cmほどです。高芯に整ったハイブリッド・ティー・ローズにはない、優しさと風格が香ります。作出年は1815年以前と記されていますので、マルメゾン城の庭で作りだされたものなのかもしれませんね!

 

まとめ

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フランスの片田舎で没落貴族の娘として生まれたジョゼフィーヌ。じつはジョゼフィーヌというのは、ナポレオンがつけた呼称で、本名はマリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリ(Marie Josèphe Rose Tascher de la Pagerie)。自分の名前に「ローズ」と入っているせいか、ジョゼフィーヌはバラに惹かれ、居城のマルメゾン宮殿の庭に世界中のバラを集めました。

 

ジョゼフィーヌのバラの庭はとても有名で、当時、戦争状態にあったイギリスからわざわざバラを避難させるために敵国のジョゼフィーヌの元にバラを送ってくるほどだったといいます。ときは中国バラの四季咲き性がヨーロッパにもたらされた頃です。世界中のバラが集められたジョゼフィーヌのバラ園では、人工交配で数々の新品種が生み出されたことでしょう。そして彼女の庭に咲くバラは、ボタニカルアートの最高峰として今も多くのファンをもつルドゥーテの手により詳細な絵に残されました。

 

きっとジョゼフィーヌは自分の好きなことをしていただけなのでしょう。それが今や彼女の功績もあり、数えきれないほどの新しいバラが生み出されていると知れば、どんなに驚くでしょうね!

 

▼じつはジョゼフィーヌはバラのほかにダリアもたくさん植えていたのですが、それについてはこちらの記事をご覧ください。

 

▼バラのコラムの記事一覧はこちらからどうぞ

 

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